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■Time Machine 1977-1986  第6回 1977年6月

  1977年6月6日、エルヴィス・プレスリーはシングル「ウェイ・ダウン」をリリースした。60年代のプレスリーは、音楽制作よりも映画出演が相次ぎ、シングル中心でアルバムは6作だったが、70年代に入り、時代はアルバム主体になったためもあり、70年代は亡くなるまでの約7年間に12作ものアルバムをリリースしている。ポップ・シーンでは存在感が薄くなってはいたものの、カンチリー・チャートではまだまだ人気が高かった。また60年代末期から70年代にかけてのプレスリーは、60年代半ばの不調を払拭するかのように、健康状態がよくないにも関わらず、過密とも言えるほどのライヴを行い続けた。しかし76年末以降はレコーディングもままならず、77年に入ると、ステージに1時間も立てないような状況だった。「ウェイ・ダウン」のリリース後となる6月19日に行ったライヴではプレスリーの声はほとんど認識できないほどだったという。そんな状況の中でも人気は高く、6月26日にもインディアナポリスのマーケット・スクエア・アリーナでのステージもソールドアウトだったが、このライヴがプレスリーの最後の公演となってしまった。そしてその最後のステージから約1ヶ月半後となる77年8月16日、メンフィスにある自宅グレイスランドのバスルームで倒れているところが見つかり、亡くなっていることが確認された。「ウェイ・ダウン」は彼のラスト・シングルとなった。

 そんな1977年6月1日、アラン・パーソンズ・プロジェクトのセカンド・アルバム『アイ・ロボット(I Robot)』(Arista / SPARTY 1012)がリリースされている。

 アラン・パーソンズ・プロジェクトは、アビー・ロード・スタジオのエンジニアとしてビートルズやピンク・フロイドなどの作品を手がけていたアラン・パーソンズと、セッション・ピアニストやソングライターとして活動していたエリック・ウールフソンによって結成されたユニットで、ファースト・アルバムは、76年5月にリリースした、エドガー・アラン・ポーを題材にしたコンセプト作『怪奇と幻想の物語 – エドガー・アラン・ポーの世界』。前作から約1年ぶりにリリースされた本作『アイ・ロボット』は、アイザック・アシモフによる同名小説をテーマとしたコンセプト・アルバムだ。ウールフソンがアシモフ自身と実際話をして作り上げた作品だったが、制作時にはすでに同小説の権利は映画会社に移ってしまっていたため、アシモフの小説に特化した内容にはできず、ロボットと人間をテーマにしたものになっている。レコーディングには前作に続き、パイロットのデヴィッド・ペイトン(b)やイアン・ベアンソン(g)、スチュアート・トッシュ(ds)、スティーヴ・ハーリー&コックニー・レベルなどで知られるダンカン・マッケイ(key)、またヴォーカルにはスティーヴ・ハーリーをはじめ元ホリーズのアラン・クラーク、レニー・ザカテクなどブリティッシュ・ポップ・シーンを代表するアーティトスらを迎えて行われた。カヴァー・デザインは、ヒプノシスのストーム・トーガソンによるもので、パリ郊外のシャルル・ド・ゴール空港の円形ターミナルの写真と、ロボットの絵が重ねられていて、アルバムの内容を象徴するような印象的なジャケットとなっている。プログレッシヴ・ロック的なシンフォニックなアレンジでありながら、ポップなメロディで全米9位・全英26位と、前作を超えるヒットとなり、その後のアラン・パーソンズ・プロジェクト全作品の中でも2番目のヒット作となっている。

 77年6月17日には、クロスビー、スティルス&ナッシュ(以下CS&N)としての第2作となるアルバム『CSN』(Atlantic / SD 19104)がリリースされている。

1.THE ALAN PARSONS PROJECT 2.CROSBY, STILLS & NASH 3.BOB MARLEY & THE WAILERS

 元バーズのデヴィッド・クロスビー、元バッファロー・スプリングフィールドのスティーヴン・スティルス、元ホリーズのグレアム・ナッシュが、それぞれ在籍していたバンドの解散や、脱退を経た3人が集まりCS&Nを結成したのは1968年のことだった。翌69年にはアトランティック・レコードと契約を結び、同年5月にはファースト・アルバム『クロスビー、スティルス&ナッシュ』をリリース。アルバムからは「マラケッシュ行急行」「組曲:青い眼のジュディ」がシングル・ヒットし、アルバム自体も全米6位・全英25位となるヒットとなった。このアルバムのツアーのために必要だったキーボーディストとして、スティルスと一緒にバッファロー・スプリングフィールドで活動していたニール・ヤングが加入し、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(以下CSN&Y)と改名し、CSN&Yとしてツアーを開始。翌70年にはCSN&Yとしてのアルバム『デジャ・ヴ』をリリースすると、全米ほかカナダ、オーストラリアなどでナンバー1を獲得する大ヒット・アルバムとなった。その後のツアーの模様を収録した2枚組ライヴ・アルバム『4ウェイ・ストリート』も全米ナンバー1になるなどの成功を収めた。CSN&Yの4人は、その間もそれぞれがソロ・アルバムをリリースしたり、クロスビーとスティルスは、二人のユニットでのアルバムを発売したりとその他の活動も活発だった。そのため、CS&Nとしてのセカンド・アルバムである本作のリリースは、ファーストから約8年ぶりとなってしまっている。基本的に3人のみでのソングライティングと、ヴォーカル、コーラスで構成されたナンバーは8年というブランクを感じさせないほど、美しいメロディとハーモニーの完成度は高い。本作からカットされたシングル「ジャスト・ア・ソング(Just A Song Before I Go)」は全米7位と彼らにとって最大のヒット曲となり、今も愛されるナンバーとなっている。アルバムは全米2位・全英23位とファーストを超えるヒットとなった。

  77年6月3日には、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのアルバム『エクソダス(Exodus)』(Island / ILPS 9498)がリリースされている。

 ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズは、マーリー、ピーター・トッシュ、バニー・ウェイラーの3人によるザ・ウェイラーズが74年に解散した後、マーリーと、カールトン(ds)とアストン(b)のバレット兄弟、アル・アンダーソン(g)らを中心に構成されたバッキング・バンドで、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ名義での初めての作品は74年10月リリースの『ナッティ・ドレッド』。76年4月には続く『ラスタマン・ヴァイブレーション』を発売するが、同年12月、ジャマイカのマイケル・マンリー首相のために企画した無料コンサート“スマイル・ジャマイカ”の2日前に自宅内で銃撃を受け負傷してしまう。それでも予定通りコンサートは行ったものの、76年末、マーリーはジャマイカを出てイギリスでの亡命生活を送ることになる。本作は、マーリーがイギリスでの亡命生活中に発表した、ザ・ウェイラーズ時代を含めると通算9作目のアルバム。アルバム・タイトル曲をはじめ、「ジャミング」「ワン・ラヴ/ピープル・ゲット・レディ」は全英ベスト10に入るヒットとなり、アルバムも全英8位・全米20位(R&Bチャートでは15位)を記録するヒットとなった。

4.KISS 5.STEVE WINWOOD 6.THE J. GEILS BAND 7.HAWKWIND 8.PAT METHENY / Watercolors

 77年6月30日には、キッスの通算6枚目のアルバム『ラヴ・ガン(Love Gun)』(Casablanca / NBLP 7057)がリリースされている。アルバム・タイトル曲や「クリスティーン・シックスティーン」などのヒット曲を生み、アルバムも全米4位を記録。彼らを代表するアルバムの一枚となった。

 スペンサー・デイヴィス・グループ〜トラフィックなどで活動していたスティーヴ・ウィンウッドのセルフ・タイトルのソロ・デビュー・アルバム『Steve Winwood』(Island / ILPS 9494)も77年6月のリリース。アメリカで成功を収めていたトラフィックほどの商業的な成功には至らなかったが、全米では22位、イギリスではパンク・ムーヴメントに押されながらも12位を記録している。J・ガイルズ・バンドの通算7枚目のアルバム『モンキー・アイランド噴火(Monkey Island)』(Atlantic / SD 19103)は、6月9日の発売。彼らのアルバムの中で、ジャケットに“ガイルズ”と短縮されたバンド名がクレジットされている唯一の作品で、アトランティクでの最後のアルバムとなった。

 イギリスのサイケデリック/プログレッシヴ・グループ、ホークウィンドの7枚目のアルバム『クォーク・ストレンジネス・アンド・チャーム(Quark、Strangeness and Charm)』(Charisma / CDS 4008)は77年6月17日のリリース。またジャズ/フュージョン・ギタリスト、パット・メセニーのセカンド・アルバム『ウォーターズカラーズ(Watercolors)』(ECM / 1097)も77年6月の発売だ。