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■Time Machine 1977-1986 第5回1977年5月

 1977年5月25日、その後全世界の人々に長く愛され続け、40年以上にもわたってシリーズ作品が制作されることになる一本の映画が公開された。ジョージ・ルーカス監督による一大SFサーガ『スター・ウォーズ』だ。 “遠い昔、はるか彼方の銀河系で……”と映画のバック・ストーリーが画面を流れていくオープニング・クロールが終わると、それが巨大な宇宙船の船底だったという始まりは、当時の観客に衝撃を持って迎えられ、エンターテイメント性あふれるこの壮大な宇宙叙事詩は大ヒットを記録。当時ナンバー1だった75年公開のスティーヴン・スピルバーグ監督の映画『ジョーズ』の記録を塗り替え、82年公開のやはりスピルバーグ監督映画『E.T.』に抜かれるまで世界ナンバー1ヒット映画となった。公開当時から、9作ある大河ドラマの中間部の3作の第1部ということは周知だったが、当時はそれが完結できるのかは全く未知だった。実際83年公開の中間部3作の最終章である『スター・ウォーズ/ジェダイの復讐(現在はジェダイの帰還)』までは、当初の予定通り3年おきに制作されたものの、ジョージ・ルーカスが監督業から引退してしまったために、その他のエピソードの制作は頓挫してしまう。しかし99年、ルーカスが監督業に復帰し、16年ぶりに第1章となる『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』が制作され、止まった時は再び動き出した。9作の最終3部作の制作までも10年の時間があき、監督交代などもあったものの、2019年公開の最終章『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』で42年を要して、壮大な宇宙サーガは完結した。そのすべての始まりは77年5月だったのだ。

 映画界では壮大な宇宙ドラマが始まったのと同じ77年5月、やはりその後長く愛されるアーティストが在籍するグループがデビューを飾っている。ポール・ウェラーを中心とする3人組、ザ・ジャムのファースト・アルバム『イン・ザ・シティ(In The City)』(Polydor / 2383 477)が5月20日にリリースされた。

 ザ・ジャムは1972年、英ロンドン郊外のサリー州ウォーキングで、ポール・ウェラーを中心に結成された。当初メンバーは流動的だったが、70年代半ば頃には、ウェラー(vo, g)、ブルース・フォクストン(b)、リック・バックラー(ds)の3人のラインナップに固まる。初期の頃はアメリカのロックンロールなどのカヴァーを中心に演奏していたが、ウェラーがザ・フーの『マイ・ジェネレーション』に出会い、音楽とファッション、ライフ・スタイルまでモッズに魅了され、以降それが彼らのルーツとなった。77年初頭、ポリドールと契約を交わした彼らは、同年4月29日、アルバムからの先行シングル「イン・ザ・シティ」でデビューを飾った。音楽的にはザ・フーなどの流れを汲むモッズ・ナンバーではあるものの、エネルギッシュな高速サウンドには当時シーンを席巻していたパンク・ムーヴメントの影響が感じられる。同タイトルのアルバムもまた同様のサウンドで、全英20位を獲得したが、この時点では他のパンク・バンドほどの成功は得られなかった。確かに、同時代の流れからパンク・バンドとしてカテゴライズされていたものの、ファッションは常にモッズを意識したこざっぱりとしたスーツで、音楽もザ・フーやビートルズなどに影響を受けたしっかりとしたバックグラウンドが感じられ、他のパンク・バンドとは一線を画す存在だった。彼らの真価が理解され始めたのは、78年発売されたサード・アルバム『オール・モッド・コンズ』からで、以降アルバムを発表するたびに音楽的にも商業的にも評価は上がっていき、82年発売の『ザ・ギフト』で全英ナンバー1を獲得、ウェンブリー・アリーナでの5日間連続公演も成功させた。しかしウェラーは、この絶頂期を迎えたままバンドを解散。同年、ミック・タルボットとともに新たなユニット、スタイル・カウンシルを結成する。

1.The Jam 2.10cc 3.Dr. Feelgood

 10CCの通算5作目となるアルバム『愛ゆえに(Deceptive Bends)』(Mercury / 9102 502)も77年5月のリリースだ。60年代半ば頃からそれぞれ音楽活動をしていたエリック・スチュアート、グレアム・グールドマン、ロル・クレーム、ケヴィン・ゴドリーは、60年代末期、4人でバンド活動を開始し、数年間はさまざまなバンド名で活動したり、他のアーティストに楽曲を提供したりしていた。72年になり、4人は10CCとしての活動をスタートさせると、同年7月にUKレコーズと契約。翌73年7月にセルフ・タイトルのアルバムでデビューを果たした。デビュー作は大きな成功は得られなかったが、セカンド・アルバム『シート・ミュージック』(74年5月)以降は、『オリジナル・サウンドトラック』(75年3月)『びっくり電話(How Dare You!)』(76年1月)の3作すべて全英ベスト10に入るヒットを記録。中でもサード・アルバム『オリジナル・サウンドトラック』からシングル・カットされた「アイム・ノット・イン・ラヴ」は、全英1位・全米2位に輝く大ヒットとなり、彼らの代表曲となった。

 しかし4作目の『びっくり電話』のレコーディング中に、スチュアート=グールドマン、ゴドリー=クレームの二つのチームの間に軋轢が生まれ、本作『愛ゆえに』のセッションでその溝は決定的なものになってしまう。そしてケヴィン・ゴドリーとロル・クレームの二人が脱退。その二人はゴドリー&クレームとして活動をスタートした。残ったエリック・スチュアートとグレアム・グールドマンは本作をドラムスのポール・バージェスとともに完成させ、77年5月にリリースした。ジャケットは前作に続きヒプノシスが手がけ、スチュアートとグールドマンによるキャッチーなナンバーが詰まった本作は全英3位・全米31位を獲得する成功を収めた。また本作からシングル・カットされた「愛ゆえに(The Things We Do For Love)」は全英・全米ともに5位に入り「アイム・ノット・イン・ラヴ」に並ぶ代表曲となった。その後彼らは、リック・フェン(g)、トニー・オマリー(key)、スチュアート・トッシュ(ds)を新たに加え、ワールド・ツアーを行い、その模様を収めたライヴ・アルバム『イン・コンサート(Live And Let Live)』を同年10月に発売している。

 70年代イギリスのパブ・ロック・シーンを代表するグループ、ドクター・フィールグッドのサード・アルバム『スニーキン・サスピション(Sneakin’ Suspicion)』(United Artists / UAS 30075)も77年5月のリリースだ。ドクター・フィールグッドは、71年、ウィルコ・ジョンソン、リー・ブリローを中心に英エセックス州で結成されたグループで、75年、アルバム『ダウン・バイ・ザ・ジェティ』でデビューした。初期のロックンロールやR&Bをベースとした独自のサウンドで当時イギリスで生まれたパブ・ロックを代表する存在となった。パブ・ロック・グループの多くは、ツアーを数多く行っているため、ライヴ・パフォーマンスに定評があった。彼らも本作前にリリースされたライヴ・アルバム『殺人病棟(Stupidity)』は全英ナンバー1に輝き、彼らの作品の中でもっとも商業的に成功したアルバムとなっている。続く本作『スニーキン・サスピション』も、当時イギリスを席巻していたパンク・ムーヴメントの中、全英10位のヒットとなるが、制作時にジョンソンとブリローの間に軋轢が生まれ、本作後にはジョンソンが脱退してしまう。ドクター・フィールグッドはジョンソン脱退後も活動を続けるが、ジョンソン在籍時のような成功を得ることはできなかった。

4.Steve Miller Band 5.Gregg Allman Band 7.The Beatles 8.Roger Daltrey

 60年代半ばから活動を続ける米サンフランシスコ出身のスティーヴ・ミラー・バンドの10枚目のアルバム『ペガサスの祈り(Book Of Dreams)』(Capitol / SO-11630)も77年5月のリリースだ。本作は、前作『鷲の爪(Fly Like An Eagle)』の制作時にレコーディングされ、同作に収録されなかった楽曲で構成されているが、シングル・ヒットとなった「ジェット・エアライナー」をはじめ、「ジャングル・ラヴ」「スウィングタウン」など彼らのベスト・アルバムに収められることになるナンバーが多く収録され、全米2位となる彼らの作品の中でもっとも成功を収めたアルバムとなった。

 グレッグ・オールマン・バンドの『嵐(Playin’ UP A Storm)』(Capricorn / CP 0181)もこの年の5月発売。73年発売の『レイド・バック』以来となる2作目のソロ作品で、76年、オールマン・ブルザーズ・バンド解散後初のアルバムだった。ポール・マッカートニーのウィングスのメンバーとして知られるデニー・レインのセカンド・ソロ・アルバム『ホリー・デイズ(Holly Days)』(Capitol / ST-11588)も77年5月6日にリリースされている。バディ・ホリーのカヴァー集で、レコーディングには、ポールとリンダのマッカートニー夫妻も参加している。ポールと言えば、ザ・ビートルズが64年と65年の8月に行った米ハリウッド・ボウルでのステージを収めたライヴ・アルバム『ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!(The Beatles At The Hollywood Bowl)』(Parlophone / EMTV 4)も同年同日発売だ(アメリカは5月4日発売)。そのほか、ロジャー・ダルトリーの3枚目のソロ・アルバム『ワン・オブ・ザ・ボーイズ(One Of The Boys)』(Polydor / 2442 146)も77年5月13日にリリースされている。