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■Time Machine 1977-1986 第4回 1977年4月

 1977年4月1日、レッド・ツェッペリンは、1975年前半に行って以来約2年ぶりとなる北米ツアーをさせた。75年8月にヴォーカルのロバート・プラントが、ギリシャのロードス島で家族とともに休暇をとっていた時に自動車事故を起こして足首を骨折。当時の妻モーリーンも頭蓋骨骨折という重傷を負ったため、休養を余儀なくされていた。しかしプラントはまだ完全には回復していない中でレッド・ツェッペリンの通算7作目のスタジオ作『プレゼンス』の制作を強行。アルバムは76年3月にリリースされた。プラントの完全回復を待って、77年初頭に新しいセットリストによるツアー・リハーサルを行った彼らは、同年2月27日に同ツアーをスタートさせる予定だったが、プラントが咽頭炎にかかったため、ツアーのスタートは4月1日に延期された。

 レッド・ツェッペリンのこの年の北米ツアーでは、アリーナやスタジアムが完売となり、商業的に大きな成功を収めたが、中でも4月30日に行われたミシガン州のポンティアック・シルバードームでの公演は76000人以上を動員し、屋内での単独公演としては世界新記録を達成した。他にニューヨークのマジソン・スクエアやロサンゼルスのフォーラムなどの公演も完売でツアーは成功を収め続けていたが、同年7月、プラントの息子カラックが突然の病で急逝し、その後のツアーはすべてキャンセルとなった。彼らはその後なんとか復活するも80年9月25日、今度はドラムスのジョン・ボーナムが急逝し、レッド・ツェッペリンはそのまま活動を停止してしまった。そのため、77年の北米ツアーが彼らにとっての最後のパフォーマンスとなってしまった。そのレッド・ツェッペリンが、最後のツアーをスタートさせた77年4月、イギリスのパンク・ムーヴメントを牽引することになるグループのデビュー・アルバムが2作リリースされた。

 76年、70年代前半からそれぞれの別のバンドで活動していたミック・ジョーンズ(g, vo)とジョー・ストラマー(vo, g)を中心に、ポール・シムノン(b)、テリー・チャイムズ(ds)を加えた4人によってザ・クラッシュは結成された。それより以前にセックス・ピストルズのライヴを見ていたミック・ジョーンズは彼らに衝撃を受け、彼らと同様の音楽を目指すようになる。同年7月4日、シェフィールドのナイトクラブ、ブラック・スワンでセックス・ピストルズのサポートとしてデビュー・ライヴを行った彼らは、その後しばらくライヴを行わず、曲作りに専念する。同じ頃、セックス・ピストルズの影響で、イギリスの音楽シーンではパンクが大きな注目を集め始めていて、76年にはクラッシュの他にも、ダムド、バズコックスなど多くのバンドがギグ・デビューを果たした。

 翌77年になると、パンクはイギリスで大きな現象になりつつあり、1月25日、CBSと10万ポンドというライヴ・デビューしたてのバンドとしては破格の値段で契約を交わしたクラッシュは、3月18日、アルバムに先行してシングル「白い暴動(White Riot)」を発表。翌月となる4月8日、セルフ・タイトル・アルバム『The Clash(白い暴動)』(CBS / CBS 82000)でアルバム・デビューを飾った。

1. THE CLASH / The Clash 2. THE STRANGLERS / Rattus Norvegicus 3. SUPERTRAMP / Even In The Quietest Moments

  77年2月に3週間をかけて約4000ポンドで制作された本作は、レゲエのカヴァー「ポリスとコソ泥(Police & Thieves)」以外はすべてストラマーとジョーンズによる楽曲で、前述の「白い暴動」のほか、「リモート・コントロール」と「コンプリート・コントロール」がシングル・カットされ、イギリスではすべてチャートインするヒットとなり、アルバム自体も全英12位を獲得している。アルバム・ジャケットは、ロンドンのカムデン・マーケットにある彼らがリハーサルを行っていたビルの前で撮影されているが、ドラムスのテリー・チャイムズは、このときすでに脱退を決めていた(クレジットは、トーリー・クライムズ名義)ため、ジャケットには3人しか写っていない。クラッシュは79年発売のサード・アルバム『ロンドン・コーリング』でより大きな成功を手にするが、時代の閉塞感と、若さによる怒りとスピード感を閉じ込めたこのデビュー・アルバムは、批評家からも高い評価を受け、当時も今もパンク・ムーヴメントを代表する一枚として愛され続けている。また『The Clash(白い暴動)』は、アメリカでは“ラジオ向きではない”という理由でイギリスと同時期には発売されなかったため、この年のアメリカでもっともセールスを上げた輸入レコードとなった。本作のアメリカ盤は79年7月26日にアメリカ向けに内容を編集したかたちで発売となっている。

 1977年4月には、もう一つイギリスのパンク・ムーヴメントの中で大きな足跡を残すことになるグループのファースト・アルバムがリリースされている。同年4月15日に発売されたストラングラーズのデビュー作『Rattus Norvegicus(夜獣の館)』(United Artists / UAG 30045)だ。

 ストラングラーズは、70年代半ば、パブ・ロック・シーンで活動していたグループ、ギルフォード・ストラングラーズが母体となり、74年、ジャン=ジャック・バーネル(b, vo)、ヒュー・コーンウェル(g, vo)、ジェット・ブラック(ds)、デイヴ・グリーンフィールド(key)の4人で結成された。すでにラモーンズやパティ・スミスなどのアーティストの英国公演のオープニング・アクトを数多く行っていた彼らは、パンク・ムーヴメントと関係を深め、『夜獣の館』でデビューを果たした。アルバムは全英4位を獲得するヒットとなり、同作からシングル・カットされた「グリップ」と「ピーチズ」もそれぞれ全英44位と8位と好セールスを記録し成功を収めた。しかしドラムスのジェット・ブラックはデビュー当時すでに30代半ばで、アイスクリームや酒類などの販売する実業家として成功を収めていたほか、ヒュー・コーンウェルはブリストル大学で生物学の博士号を取得後、スウェーデンのルンド大学で研究者として働き、デイヴ・グリーンフィールドは音楽大学でクラシックを専攻し、ジャン=ジャック・バーネルもまたブラッフォード大学などで歴史学や経済学を学んでいたという経歴や、彼らが作り出すインテリジェンスあふれる歌詞などから、パンク・バンドとしての活動に疑いの目を向ける者たちも少なからずいた。確かにパンク・バンドにキーボード奏者がいるという構成はシーンの中では異彩を放っていたことも事実だ。とはいえ、このデビュー作からわずか2年の間に発表した4枚のアルバムはすべて全英ベスト5に入るヒットを記録。その後のニューウェイヴやゴシック・ロックなどに大きな影響を与え、彼ら自身も80年代に入ってもなお、ヒット作を発表し続け、メンバー・チェンジを経ながら現在も活動を続けている。そんな中、オリジナル・メンバーであるキーボードのデイヴ・グリーンフィールドが、2020年5月3日、コロナにより他界したことは残念だ。

 1977年4月10日には、やはり英グループ、スーパートランプの通算5作目のアルバムとなる『Even In The Quietest Moments…(蒼い序曲)』(A&M / AMLK 64634)がリリースされている。

 1970年、ロジャー・ホジソン(vo, key, g)とリック・デイヴィス(vo, key)を中心にロンドンで結成されたスーパートランプは、同年7月14日、セルフ・タイトル・アルバム(邦題はスーパートランプ・ファースト)でデビューを果たした。デビュー当時はヒットに恵まれなかったが、ロジャーとリック以外のメンバーを一新し、ポップ路線に転向したサード・アルバム『クライム・オブ・センチュリー』が全英4位を獲得する大ヒットとなり、人気グループの仲間入りを果たした。本作は、前作『危機への招待(Crisis? What’s Crisis?)』から約2年ぶりに発売されたアルバムで、活動の拠点をアメリカに移し、全編アメリカのスタジオでレコーディングされている。一段とポップ指向が強まった本作は、全英12位・全米16位と彼らにとってはアメリカではそれまででもっとも好位置につけた作品となったが、それも続く79年発売のアルバム『ブレックファスト・イン・アメリカ』への布石に過ぎなかった。

4. THE BEACH BOYS / Love You 5. ALICE COOPER / Lace And Whiskey 6. DAVE EDMUNDS / Get It 7. VAN MORRISON / A Period Of Transition 8. NEIL INNES / Taking Off

 77年4月11日には、ビーチ・ボーイズの21枚目のアルバム『ラヴ・ユー(The Beach Boys Love You)』(Brother/Reprise / MSK 2258)がリリースされている。もともとブライアン・ウィルソンのソロ・アルバムとなるはずだった『Brian Loves You』収録予定曲から転用されているため、ほとんどの楽曲がブライアン作でプロデュースも彼が行っている。前作『15・ビッグ・ワンズ』もブライアンのプロデュース作で“ブライアンズ・バック”とメディアに騒がれたが、全曲がブライアンの手によるものであることを考えると、本作『ラヴ・ユー』が実質的に70年代のブライアンのカムバック作とも受け取られた。

 そのほか、77年4月には、アリス・クーパーの3枚目のソロ・アルバム、バンド名義のものを含めると通算10作目となるアルバム『レースとウイスキー』(Warner Bros. / BSK 3027)が発売されている。バラードあり、ハード・ロックあり、ロカビリーありのヴァラエティ豊かな内容となっている。またヴァン・モリソンの9作目のアルバム『安息への旅(A Period Of Transition)』(Warner Bros./ K56322)、デイヴ・エドモンズの3作目のソロ・アルバム『ゲット・イット』(Swan Song /SSK 59494)がレッド・ツェッペリンのスワンソング・レーベルからリリースされている。ボンゾ・ドッグやモンティ・パイソンで知られるニール・イネスのセカンド・ソロ・アルバム『テイキング・オフ』(Arista/ SPARTY1004)も77年4月のリリースだ。